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2019.10.28

Oshoと瞑想 プラーナヒーリング その後

プラーナヒーリングは、テレパシー、チャネリング、サイキックオーラ手術、シャーマニックオーラエネルギー 、の扱い方などを実践し、ダイナミックなオーラヒーリングだった。

オフシーズンには、連絡はテレパシーを使うように指示された。
私はプラーナヒーラーとしても働いたが、本当のヒーラーとしての仕事は夜、遠隔で行っていた。
そうこうするうちに私は旅の身支度を始めた。
ムンバイに行って、人と会い、話をつけるのも人脈、じゃの道は蛇の道、長い旅の中でのコネだろう。
ムンバイの係官は5年間の不法滞在を解決して、一時出国を勧めた。プーナから2日くらい汽車に乗り、Oshoの生地ジャバルプールへ、そのあとネパールへ出国、トレッキングをして、3ヶ月くらいだったろうか、この間のことは長くなるので省略させていただく。

再びプーナのOshoコミューンに帰ってくると、プラーナヒーリング、ミーラのアートグループ、クラニオ・セイクラルのトレーニングなど、様々なヒーリングを楽しんでいたが、その頃ヒーリングアーツでは、この前来訪したドイツのセラピスト、ピーター・マンデルの話で持ちきりだった。
なんでも、Oshoが、カラーでヒーリングの仕事をしている人がいるから連れてくるように。と言ったらしく、ドイツのサニヤシンが、ピータ・マンデルを見つけてコンタクトしたらしい。
その頃は、まだ3日間のワークショップがハップンしたばかりで、もうすぐトレーニングコースも始まるらしい、個人セッションを受けられるのは、インナーサークル(Oshoの側近の人たち)のみ、とか、いろいろな噂で皆、興奮気味だった。