きらびやかなニューヨークの街を後に、東に、とりあえず以前1年住んだロンドンに降り、懐かしさと安らぎとを感じていた。こんなに街がこじんまりと小さかったっけとなんだかかわいい田舎町に来たような気分になった。

Oshoは、ワールドツアー中で、ギリシャに行くらしいという情報はあったが、居場所がわからず、その後、何の情報も入ってこなかった。私は1人ヨーロッパを南下した。ギリシャからトルコへエーゲ海の岸辺にマンションを借りて、食料を1か月分買い込んで3週間のヴィパサナをするつもりだ。

ヴィパサナとは仏陀が弟子たちに与えたとされる非常に古い瞑想法だが、やり方はシンプルでただ呼吸を見ているというだけの瞑想である。これまでも様々なところで3週間のヴィパサナをしたが、クンダリー二が上がっていく3週間目の強烈な体験をもう一度してみたかった。

3週間、人に会わないようにして瞑想を高める。

1週間目は混沌とした呼吸とマインドだ。(ほとんどの人はここで挫折する。)

2週間目から呼吸は規則正しく、マインドは静まる。(心は安らぐが眠くなるのでますます覚醒しなければならない。この時マインドは最後の戦いを挑んでくる。)

3週間目からは呼吸はほとんど止まるくらい深く静かになり、さらなる覚醒が要求される。(さまざまな悪霊や妖怪のようなものも襲ってくるかもしれない。)
眠らないで一瞬でも見逃してはならない。ボーディダルマが瞼を切った瞬間だ。

背中からは電気が昇ってくる。クンダリー二だろう。何回も何回も昇っていく。ただみるのだ。呼吸は静まり、覚醒は強くなる。その覚醒こそがエネルギーだ。もっとも強力なエネルギー。最強のスピリチュアルエネルギーだ。瞑想が深まった時、「観る者」を体験する。その「観る者」こそ過去生から永遠に続いてきた「私」なのだ。そしてこの「私」こそがこれからも永遠に続く不滅の魂なのだ。

体は強烈なエネルギーであふれている。不用意に人と会うことは危険だ。どんなエネルギーの爆発があるかしれない。普段の生活にゆっくり戻ろう。そのエネルギーは内部にとどまり、何十年も減ることがない。

これまでもいろいろなところでヴィパサナをやったが、この時が最も強烈な体験となった。自然があり、しかも3週間プライベートを保てるところは、世界中探しても実はあまりないのである。観光地は外見は素晴らしいが、雑多な人がひっきりなしに訪れるおかげでエネルギーが低く、田舎町は自然があって人もいないように思えるのだが、そこに住んでる人々の好奇な対象になってしまう。

自然があってプライベートに瞑想できるところでは、瞑想が非常に効率的で、神秘の体験を深めることができる。だが、その後、だんだん世間の中でも瞑想することでさらに自分の瞑想の質を高めていけることも確信できたのだった。

 Oshoと瞑想 カスピ海へ
2013.10.29 Tuesday
11:17
 イスラマバードから2日もバスで北上するとカスピ海である。
だが、雪が降っていて凍えるように寒い。対岸はロシアだろうか。だが、霧が深く視界が悪い

ここに来た目的はと言えば、ズバリ、キャビアを食べることである。キャビアは一流ホテルでしか食べることができないし、第一庶民が手の届く値段でもない。高価で貴重なものとして黒い真珠と呼ばれている。

日本では大変高価だが、果たして現地ではどうなのだろう。それから、本場の味は、日本に輸入されたものと違うのだろうか。漁師から直接買って食べようと思い、わざわざここまで来たのである。

宿は2,3件しかなく、泊まった宿で注文してみたら、ああ、ああ、と冷蔵庫から大きなビンに詰まったものを出してきた。皿にもって、パンにのせて食べるという。

それは、キャビアはこうであるという私の常識を覆した。黒い小粒な卵ではなく、いくらより大きめで色は灰色である。かなり脂っぽく固まっている。塩味もつけないのであまり味はなかったが、私はモリモリ食べた。


なんというぜいたくな。そのビン、全部でいくら?値段!と聞くと、値段?としばらく考えなければ答えが出ないほどのんびりした所。非常に安い!やっぱり現地は違う。

雪景色を眺めながら、キャビアを毎日いっぱい食べて、ぜいたく気分である。食事は1点豪華主義。キャビアのみ毎日食べ放題。これで、もう一度ダークネス・メディテーションができれば、最高だと思った。

だが、宿の理解は得られなかった。暗くした部屋へ宿の主人がさいさんノックして入りたがる。どうも変態おやじ、ホモセクシュアルだ。こういうのはよく出会う。

暗くすると、彼は、瞑想ではなく、いかがわしい想像をしてしまうらしい。私はうるさくてかなわんと思ってキャビアをたくさん買い占めてその町を離れた。

ダークネス・メディテーションで真っ白い雪景色が真っ黒に見えれば、成功と言えるのに、瞑想環境が整わなかったのは残念だった。後に私はたっぷりダークネス・メディテーションを体験できるようになるが、それについては次回にしたい。

船で対岸のロシアに行きたかったが、雪のため、船は当分欠航。やむなく南下した。

O

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スピリチュアル
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Oshoと瞑想 ダークネス・メディテーションとバンパイヤ
2013.11.06 Wednesday
12:26
 その後のことになるが、Oshoコミューン滞在中には、ダークネス・メディテーションを毎日、二時間、二年間くらい、自宅を改造しやり続けたことがあった。

今やっているヒーリングはその時の経験から学んだのだろうか。最近クライアントを見ながらダークネスになる。

するとなにかもぞもぞいるような気がする。私はその人のオーラを回転してみてみた。すると様々な動物が見えるではないか。

実にカラフルなリアルな画像で、緑色の恐竜のようなもの、白い目が小さなおばQのようなもの、五芒星のひとでのようなものが張り付いていたり、頭の大きなアリのような人、大きな茶色いサナダムシのようなもの、黒い砂の塊のようなもの、そのほか悪魔のようなものも多い。

決まって人間より数倍大きくてたくさんいる。しかも違う人間には違う形態のものがいるので、決して同じものを見たことはない。

各人、各人に皆違うものが取り囲んでいるのである。それが、その人のエネルギーを吸って食べているから丸々太っている。

私はこれは霊能者も見たことのない、4次元の世界に住んで人間をエネルギーを食い物にしている捕食者、バンパイアーだと思った。(ネーミングは無難な名をつけただけであるが。)

歴史家ゼカリア・シッチンは、何千年も前に宇宙人によって、遺伝子操作されたのが、今の人間だとほのめかしている。

エネルギーを吸われるだけの奴隷として、アヌンナキという宇宙人によって60回以上遺伝子操作をして、人間が作られたという話も聞く。

我々のエネルギーを吸っている宇宙人は、昔から地球に住んでいる異生命体と呼べばいいのだろうか。とりあえず名前はバンパイアーとする。

このバンパイアーを取り除かない限りいくら何をしても生命エネルギーは失われ、どんな精神修行のセラピーをしても完成しないのである。

なぜなら、私は2種類のバンパイアーを確認した。ひとつは肉体、感情エネルギー。ネガティヴな感情や不安、恐怖、悲しみを食べている黒いもの。もう一つは、精神エネルギー。精神的成長や瞑想をしようとするとそのエネルギーを好物として集まる白いバンパイアーである。

バンパイアーの種類はまだまだ多い。これは大変なことである。何千年も前から地球にのさばっているものを取り除くことはできるのだろうか。

わたしにとって、それぞれのものを見つけたら、一分でできるのである。
ダークネスでバンパイアを吸収したり、振り回したり、自由自在にやっていて、いろいろ観察したあと、消すことができるのである。私が知っている多次元から永遠に消滅するのである。

これをバンパイアセッションとして実施中。決まって見違えるように疲労がなくなり、心身爽快。
未来までポジティヴになったという報告を聞いている。

どんな人間にも最低1、2種類のバンパイアーがついている。またモノや場所にもついている場合がある。地下や上空に円盤型の基地を持っているのもいる。

私が見つけたものは、すべてリセットして、どんな大きな基地でも消去されていく。
これで未来が変わっていくと確信している。

今回の内容は、ちょっと重かったですか。次回は、またトルコ再訪です。お楽しみに。
 


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Oshoと瞑想 トルコ再入国 コンヤのワーリング その1
2013.11.12 Tuesday
13:08
トルコのコンヤといえば、精神世界ではスーフィズムが有名である。
なんといっても有名なのは、ジャラール・ウッディーン・ルーミー(1207~1273)で、彼の本は、たくさん英訳されている。

せっかくなので、ひとつだけ紹介してみる。
「僕たちの流儀」

肉体の耳から流れ込む雑音で
心の耳を塞いでしまわないで
心の耳はとても華奢にできている
だからもう何も聞かないで
力を抜いて 何も考えないで
遠くから響いてくる - 『還れ!』
あれは僕たちを呼ぶ声 いつの日かきっと
僕たちは還るのだろう あの呼び声の許へ
こんな言葉やあんな仕草を交わしながら
僕たちはいつも旅の途中にいる
どうして心は こんなにも空高く飛べるのだろう
                 体は泥にまみれ地上に朽ち果てるのだろう
                それでも心は 海の上だって軽々と歩くのだろう
                    その昔 イエスがそうしたように

ちょっとした詩や寓話などが残されているのだが、それぞれが大変興味深い、瞑想的境地を表している。 アメリカン・ニューエイジの人なら英訳のルーミーの本を1、2冊は書棚に揃えてあるだろう。

スーフィズムの真髄はワーリング(ぐるぐる回ることを1時間以上続ける)なのだが、コンヤはワーリングのメッカとして知られている。近くまで来たのだからぜひ寄ってみたい場所であった。

イランからもう一度トルコに再入国した。ルーミーの時代にはペルシャと呼ばれていてイランとの国境はなかったと思う。
途中クルド族移住区を横切り、トルコから内陸部、コンヤについた時は少し寂しかった。

トルコは、西部は西洋化が進んでいるが、イランに近い東部や内陸部はまだ素朴な世界であった。コンヤは何の変哲もない田舎の村。赤黄色い土だけの砂漠のようなところだった。

だが、小さいプレハブのような家にツーリスト・インフォメーションと書かれてあったので、かけあってみた。「ワーリングを習いに来ました。どこへ行けば良いのでしょう。」

そこにいた高校生くらいの若い男の子が、流暢な英語で答えた。
「驚きだ。そういうシステムはない。あと9ヶ月後に市民ホールでワーリングの祭典が開かれる予定です。残念ですが。」という。

スーフィズムは、誰でも受けられるカルチャーセンターのようなものではないらしい。
「では、ワーリングのできる人はいないか」
と聞くと、一人の青年を探し出してきてくれた。小さい頃からワーリングをしていて、祭典に毎年出ているという。「外国人に教えるというシステムはない。残念ですが。」彼も同じことを言う。

そこをどうにか頼み込んで、ちょっとでもいいからというと、彼は渋々、少しだけ、教授してくれることになった。

                                                  (つづく)
 


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Oshoと瞑想 コンヤのワーリング その2
2013.11.19 Tuesday
09:04
 ワーリングは、見ているとなかなか美しいものだが、やってみると見ているのとは全然違う。

ワーリング・ショーでは、長いスカートがひらひらと舞い、いかにもすぐできるような気がする。小さい子供なら何度もぐるぐる回るというのをやってのけるものだ。

だが、一時間も二時間もということになると話は違ってくる。高速道路を1時間、暴走するような気分である。10分でも目が回るのにどうして1時間も!という驚異的な感じがする。回ることで、何か精神的な奥義が得られるのだとすれば、ぜひやってみたい。

教えてくれるといった彼は、ツーリスト・インフォメーションの庭で「少しだけ」といって、教えてくれた。
まず右足を左足の前に出して、左後ろに右足を置き、左回りに体を回す。この繰り返しだといって、ゆっくり教えてくれた。

私は、言われた通り、体をくるくる回し始めた。はじめはゆっくり、次第に加速度を増す。この時中心を見る。体の中心は回らない。中心にとどまりながら、周囲を見るのだ。中心にとどまれば、目は回らない。

私はかつて独学で(?)練習したせいもあり、10分くらいまわって見せる。加速度がついて、左足が痛くなってくるのは不安材料だ。終わった後、しばらく目が回っていたが、何とか倒れないで棒立ちになっていると、周りの風景は、静止していった。

どうか見本を見せてくださいというと、青年は庭で回って見せてくれた。

おお、迫力がある!体が丈夫なのか、がっちりと重く安定感があり、大地に根差しているようだった。スムーズな動き!庭一杯を使って流れるようにまわってくれた。

目が回らないのか、石の近くで止まって、自由に進路を止められるようだ。30分くらいまわって見せてくれ、黒いひげずらから真っ白い歯を見せて笑った。

天と地とをつなげればよいなどと、細かいアドバイスを丸1日かけて、教えてくれた。


私はどうか弟子にしてください。衣食住はこちらでもつので、と言いかけたが、さすがにこの片田舎で数年過ごすのは自信がなくなった。

コンヤでは、短い滞在だったが、スーフィーの秘密はこんな何でもない砂漠を舞台に単純な物語を使って人々を目覚めさせていたんだなあ。と思った。

ロシアの神秘家グルジェフが、若い頃トルコに来てスーフィーダンスを見たというのは、このコンヤであろう。彼の肉体、知性、感情の統合のためのグルジェフ・ダンスの中にもワーリングが一部取り上げられている。

Oshoも若かりし頃、スーフィーの傾倒したことがあり、スーフィー教団にも滞在したことがあるということだ。というわけで、現在では、Oshoの瞑想プログラムの一つとなっていて、インドのOshoコミューンでは、毎日でもワーリングを行うことができる。

この片田舎の砂漠にあって、13世紀以来、ひそかに世界中の精神世界に強い影響を与えつづけているというのは不思議な気がした。
 
 


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Oshoと瞑想 赤い服
2013.11.29 Friday
11:19
 Oshoの居所はついに掴めなかったので、いよいよ東京に帰ろうと、フランクフルト経由の成田行チケットを買った。

日本に着いてみるとそこは、景気のよくなりつつあるところだった。その当時は、チャネリングや心理学を中心にニューエイジのセミナーは大反響。どこも満員状態だった。どこでもお客は大賑わい。精神世界の業界は大きな支持層を獲得するように見えた。

そんな活気のある東京にアパートを借りてのんびりした。

アメリカで知り合った知人とあったりしていたが、そろそろ働かなきゃあいけない。と思ってみると、私の姿が、人々から見るとかなり異様な姿であることを認識し始めていた。

電車に乗ると、街を歩くと、人々の突き刺すような視線が目に飛び込んでくる。それもそのはず。上から下まで赤で、下着から靴下まで赤で統一されている。おまけに首には和尚の顔写真付きのマラを首からかけている。髪は短くしていたが、この格好では誰も雇ってくれないような雰囲気だった。

和尚の弟子となるには、3つの掟があった。すなわち
1.赤い服以外着ないこと。
2.和尚のマラを首にかけること
3.一日一時間以上の瞑想をすること



この掟には、その時どきのサニヤシンの成長のための理由があったのだが、そのことはここでは割愛させていただく。

でもこれを実践すると、日本では完全に浮いた人となる。外国では個性ということで、そのうち誰も気にしなくなるが、日本では赤であれ白であれ、一色にすると怪しい人となる。

赤い服だけ来ているとファッションに興味はなくなり、より瞑想に近づきやすくなってくる。そして人々は相手の服を見ることをやめ、次第に相手の本質を見るようになるのである。徐々に周りの人の本質に気づくようになる。

しかしそれにしても男の私がなんで赤を?途上国では、女性なのか同性愛なのかという勘違いのトラブルに絶えず悩まされたが、先進国ではさほど問題にならない。それよりも本人の性格や人柄などを見る人が多かった。

だが日本では…気違いか、カルト宗教の手先か、限りなく怪しい人となり、ただ遠ざけられるのである。これは最大の修行の場所か、とも考えたが、少しずつ私の服も変化していった。

 
 グルジェフのこと その4
2014.12.12 Friday
13:56
 グルジェフムーブメントのyoutubeは、たくさんあるのだが、どれもshantiに言わせるとピンと来ないものばかりらしい。

紹介できる良いものがないかと探していたところ、当時shantiが、していたダンスが収録されていて、しかも見るに耐える(!!)ものを見つけたので紹介しよう。

スペインでのパフォーマンスらしく、グルジェフを話題にして、音楽や寸劇をしている。ムーブメントの場面は、20:44~23:20/37:25~44:20/55:00~56:40 で、合計4つのものが収録されている。

https://www.youtube.com/watch?v=m1ykZWSt_CI&index=1&list=LLz2NLTXgLrCUf_gdc5271LQ

このムーブメントの目的は、自己同一化しない自己を保つことである。
見ているだけでは分からないが、いろんな感情や肉体的疲れや思考の乱れなどが噴出し、その後、瞑想的になるもののようである。



 


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グルジェフのこと 最終回
2014.12.19 Friday
12:27

 
私はグルジェフ・ムーブメントに参加したこともないのだが、Oshoがよくグルジェフのことを話題にしたことから、間接的にその思想を知ることとなった。
 
いろんな細かいことを脇に置いて、やはりその思想の核となるものは、非自己同一化(アイデンティをなくすこと)なのだろうと思う。

たとえば、私は、○○会社の重役だ、というアイデンティティを持っていると、○○会社の悪口を言われると、とても頭にくる。○×村の出身者というアイデンティティ、何々家というアイデンティティ。何々人というアイデンティティ。

いろんな肩書きと一体となっていると、自分の命運はその肩書きと同じになってしまう。自分への印象は、肩書きの印象になる。世の流れの赴くままに運がよければ特権を、悪ければ一生這い上がれないという恨みを持ちながら一生を過ごす。

どのような状況にあろうとも自由でいられる意識…それは、状況と自分とが一体化しないことである。とはいえ、失業したら落ち込むし、失恋すると凹むものだ。が、どこかで、それが全てではない自分…自分の真の意識を保つことが、自由への道だというのだ。

カウンセラーの中には、しかるべきアイデンティティを持つことこそ心の安定につながると主張する人もいる。だが、グルジェフや和尚は、それと全く反対のことを言うのである。しかし、それには、瞑想が欠かせない。なんの瞑想も、覚醒もなしにアイデンティティを剥奪されると、人は自殺をするしかなくなるだろう。

ところが、やってみってもすぐに瞑想ができるようにはならないというのがネックである。
そこで、古来から「道」と呼ばれるものが存在しているのである。グルジェフは、より効率的に瞑想ができるようにするために、このダンスを考案したと考えられるのである。

ピーターブルック監督「注目すべき人々の出会い」の字幕スーパー付きを発見。
暇な人は見てください。ダンスは、グルジェフから直接指導を受けた人々がしていて、
スペシャル!!
http://videolike.org/view/yt=vIzEC0KjO0r

むつかしい話はさておき、次回は、グルジェフのグループのことで思い出したちょっとした世間話をひとつ、おまけとしてしてみよう。



 


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グルジェフのこと最終回+α ジャーマンベーカリーにて
2014.12.25 Thursday
12:06
 Oshoコミューンの参道のT字路にあるごく普通の喫茶店は、ジャーマンベーカリーといって、コーヒーや紅茶、ケーキとパンからレストランも併設し、インド料理から中華料理までなんでも出すカフェである。インド式にチャイ一杯だけでも利用できる。早朝から深夜まで開いていてコミューンの朝食に間に合わない人はそこで食べたり、昼食、夕食と瞑想疲れした人がぼーっと佇むのにも良い。

牛やリキシャーが行き交う騒がしいところながらも、砂床に木製のいすの露店でいつでもくつろげる店内、内部の席も2階まであり、結構広い。



そこは瞑想にあぶれて、あるいは少し言い訳がある人々が集まったり、ちょっとお腹がすいた時行くようなところで、何しろ西洋人にとっては、ケーキにアップルパイ、、ミルクティーとコーヒーを揃えているだけで、ホッとするところに違いない。

ジャーマンベーカリーは、また、旅行者と外部インド人との出会いの場でもあり、気楽に話しかけられる、庶民的なところである。多くの男女の出会いがある。瞑想ができなくて、夜遅く孤独を埋めてくれるパートナーを求めてジャーマンベーカリーを訪れると、そこには同じような男女がいて、かくして簡単に夜がふけるので、めでたくベットインとなる確率が高い。

朝、瞑想のあとにお茶を飲みながらジャーマンベーカリーにいると、そこには、よく、夜を共にした西洋人のカップルが、遅い朝食を食べている。西洋人の場合、カップルは朝食を二人でゆっくり食べるのが習わしのようだ。グループで一緒だった意外なメンバー同士を見かけることもしばしばだ。

観察していると、朝食カップルでは、話をリードしているのは常に男性である。イギリスにいた頃は、朝のBBCニュースで、なんとグローバルな話題に満ちているか驚いたことがある。あらゆる西洋人の朝食カップルは、ホストなかれ男性がBBCニュースのような話題を取り上げて、自分はどう思うのかを話しているのだった。女性はただ頷くのみ、大抵はそのようだった。

多くの女性は、流暢な英語の時事問題に、あいずちを打っているのだった。であるから、日本人女性と西洋人男性のカップルは何ら問題が生じないのだが、その反対は、と言うと…ほとんど難しい。

日本人男性の基本スタンスは多少しゃべるにしても、少なくとも私の世代は「男は黙って」が、標準である。それに、西洋人女性は、1時間近く言葉少なに朝食を撮るのは耐えられないようなのである。

ところで、話は変わるが、グルジェフダンスを当時リードしていたのは、アミヨといって、Oshoの古くからの弟子で、オレゴンのコミューンの中でもよく見かけた。パリジェンヌのダンサーで、昔は気位が高かった。このプライドを壊すために和尚は、オレゴンでは、3年間のコミューンのトイレ掃除をさせたということだった。

そのアミヨに恋をした日本人の田舎から出てきたおじさんがいた。彼は、私に相談した。アミヨは自分の方を見て微笑みかけたという。モーションをかけるべきかかけないべきか。おじさんは、情熱がすごくある。ベットテクニックに自信はあるという。英語もフランス語も
喋れない。

しかし、私はかわいそうになった。相手は西洋人なのである。時事問題を英語で流暢にしゃべれる自信はあるのか、しかもその話の内容に教養を見せなければ。うーんとてもむり。

しかし彼は、実力勝負、自信があるといった。それならどうぞ。しかし、ジャーマンベーカリーで、彼が誰か女性と朝食をとっているところを見る機会はついぞなかった。

日本男児ここにあり。向こう見ずに全力で戦う。しかし、勝負は翌朝の朝食で決まるのである。日本人の静けさや寡黙なところは、西洋人にはマイナスポイントなのである。この美しさが分かるのは、どんな国の人だろうか。


Osho と瞑想 Oshoコミューンへ
2014.01.07 Tuesday
16:33
 oshoはプーナに帰っていた。(プーナ2と呼ぶ)
oshoは、アメリカ政府によってアメリカを追い出され、世界中を放浪した後、最初に建設したアシュラムがあったプーナに戻ってきていた。

デカン高原の学園都市として知られるプーナは、飛行場のあるボンベイ(今はムンバイになっている)から、タクシーで、でこぼこ道を一晩かからなければいけないところだった。

ボンベイには、日本から飛行機に乗ると、大抵、夜遅く到着するので、一泊すると電車もあったが、夜中も走るタクシーは、夜中にホテルを探す手間を考えると便利だった。

とはいえ、タクシーに、ボラれながら、走っていくのも恐ろしい。一応タクシースタンドはあるが、ちゃんとしたタクシーか、白タクかは最初は区別がつかず、たっぷりとボラれる羽目になる。夜中の朦朧とした頭で、一晩中値段交渉する羽目になることもしばしばだ。

夜中に突然タクシーが止まる。エンストだ。運転手は自分で直しているが、いつ直るのか、見当もつかない。それにここはどこかもわからない。運がよければこんなトラブルに合わずに済むが、人生運次第。トラブルだらけでついに断念してしまう人もいる。こういうところが、何もかもが不確実というインドならではの出来事だ。

プーナには昼ごろ着いた。着いたら早速ホテル探しである。ほとんど寝ていない過酷な条件では、どんな安ホテルも天国だ。当時はコミューン内には宿泊施設がなかったので、自分で月極めのアパートを探した。最初はいろんな手続きで忙しいが、徐々にコミューン内に入れるようになり、瞑想にも参加できるようになる。

出来たばかりのプーナ2は、急ピッチで工事が進んでいた。
アメリカのオレゴンのような広大な敷地ではなかったが、大きなテーマパークほどの敷地に熱帯の緑あふれる森に青いピラミッドの建物が立ち、噴水、プールホール、武道場などある大学の
構内のようである





学部は大まかに

瞑想のコースや心理学やブレスワークのトランスフォーメーション、

ボディーワークやヒーリングのヒーリングアーツ、

禅武道としている合気道や弓道などのマーシャルアーツ、

チャクラやオーラの透視や研究のミスティズム、

チベット医学とヒーリングセラピーのチベッタンヒーリング、

絵画や彫刻などのクリエーティヴ・アーツ、

感情、知性、動きを統合するムーヴメント・インテグレーション

など多種多様なセラピーを9つの学部に分けていた。

私はそこの学部を気の向くままに受けていたが、最終的にはほとんどのヒーリングのトレーニングコースを受けていることになった。私の関心は、主にヒーリング・アーツ部門にあったが、
そこでどんなトレーニングが行われていたか、次回に譲ることとしよう。

 
 


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Osho 瞑想
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乳酸菌は放射能を食べる
2014.01.16 Thursday
13:36
こんにちは。
号外ニュースです。

最近、体調の悪い人が多いので、放射能関係を調べていたら、
「乳酸菌は放射能を食べる」といっている飯山一郎という人がいます。
やはり、放射能被爆は、深刻のようですが、その放射能を食べる菌がいるというのですから
朗報です。
http://grnba.com/iiyama/hikari.html#ws04112


豆乳ヨーグルト記事を転載します。

 豆乳に玄米を一割ほど入れて良く撹拌し、
30度位の温度を電気アンカ等で保ち放置すると
豆乳ヨーグルトが出来上がる。

この方法が最近は大流行です。
豆乳ヨーグルトを7割ほど食べたら豆乳を補給する。
これを5~6回繰り返して、
使用した玄米は発酵玄米なので、
そのまま良く噛んで食べる。合理的です。

その他、コメのとぎ汁を培養した乳酸菌も、推奨しているようです。

我が家では、昔ながらの白菜漬けと麹漬けしか作っていませんが、最近、柿酢を作りました。
食べきれない熟し柿をヘタを除いて容器にぶち込むだけです。すぐに発酵します。
寒いと雑菌もあまり繁殖せず、とてもいい塩梅です!

乳酸菌が放射能をもりもり食べてくれたらいいですね。



                 <光合成細菌>
 
 


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乳酸菌
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Oshoと瞑想  ヒーリング・アーツ
2014.01.21 Tuesday
09:36
 Oshoコミューン内に入れるようになると、いよいよグループを受けってみようと、いろいろなデモンストレーションに行ってみる。

アメリカのオレゴン、ラジニーシ・プーラムでは、自分の過去のトラウマと向き合うセラピー(インナーチャイルドや過去生ワーク)を主に3年くらい受けていたが、今回は、ヒーリング・アーツ部門に興味を持った。

ヒーリングアーツとは、マッサージ、指圧、整体、クラニオセイクラルなどのボディーワークと、もう少し感情的なものも含む、キネシオロジー、カラー・パンクチャー、オーラソーマなどから成り立っている。いずれも瞑想をもとに、各技術の習得のための長期トレーニングが開催されていた。

何にしようかとウロウロしていると、Oshoの言葉が私の中に入ってきた。
まず肉体から始めなさい

これは、頭であれこれ考えても、霊的成長にはたどり着かない、頭で考えたエネルギーでは、グラウンディング(地に足がつくこと)できない、という意味である。

よし、「リバランシング」からやろう、と決めた。リバランシングとは、筋肉マッサージの「ロルフィング」をもととして、Oshoコミューン内でより繊細に、瞑想的に進化していったマッサージである。

実は、リバランシングは、オレゴン時代から憧れていたトレーニングだった。トレーニング期間が極めて長く、朝から晩までを4ヶ月間というグループだった。




その時は、グループ全体で60人くらい。メインのセラピストは2人。ヘルパーが10人、通訳が10人くらい、残り40人が参加者という具合だった。トレーニングは英語で行われるので、その他の国の人はそれぞれ、通訳を連れてきても良いことになっている。日本人は私と、通訳を頼りにしている女の子、それにその通訳と3人であった。

最初の日はお決まりの自己紹介から始まった。
ところが、・・・その自己紹介には条件があって、なんとショックなことに、みんなの前で全裸になって自分の体のどこをどう思っているか語るというものであった!   (つづく)



 
 


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oshoセッションワーク
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Oshoと瞑想 リバランシング その1
2014.01.29 Wednesday
12:48
 いよいよリバランシングのトレーニングの始まりだが、はじめの自己紹介は、自分の体を裸になって人前に晒しながら、名前や国籍、自分の体についてどう思っているか、自分の体のどこが自慢で、どこがいやか、など体についての感想を述べていく。

自己紹介が終わると、60人の観衆から、鋭い意見が述べられる。「あなたの体は縮んでいる」「右が下がって足が細すぎる」「性器に力がない」「男性としては魅力がない」など。

自分の体についての率直な意見が次々と言われて、穴があったら入りたいような気分だった。

参加者はここで肝試しをするのである。裸になることは、慣れてしまえばなんてことはないが、羞恥心が強いと、マッサージを受けるときも余計な緊張をしてしまい、支障をきたすのである。まさに裸と裸の付き合いである。

人からは自分の体がどう見えるのか、また、自分自身の体を否定していないか、自分は体をどう捉えているのか、自分の考えていたことがその時初めて分かることもあるのである。

このとき我々の語ったことはやはり体の雰囲気、いわゆるオーラの状態を見た感想に近かったのではないか。今になっては思うのである。オーラの印象は、意識してみなくても強いもので、ほとんど第1印象を決定する。

この時点では,まだ体の評価が出来る目が養われていない。しかし、徐々に体に対する観察眼が養われて鋭い指摘と的確なマッサージができるようになっていく。

トレーニングは、まず感情を出すことから始まる。いろいろなセラピーを交えながら、踊ったり、ブレスをしたり、オーラソーマを使ったり、人と人が交じり合い、ひとりひとり違った感情を表現するのである。

ある時は、人と人とが顔を合わせ、目を見つめ合って好き!嫌い!などと即答していく、いわゆるエンカウンターセラピーの手法を使った表現をしたあと、体をマッサージしながらどう思ったか相手に伝える、伝えられた方はその言葉を胸に受けて深い感情を味わう。ということもあった。

傷つき、愛して、涙と喜びが交互にやって来る。
                               (つづく)


     左が初め、右がトレーニング


Oshoと瞑想  リバランシング その2
2014.02.04 Tuesday
13:44
 リバランシングは、筋肉の深層、筋膜に働きかけるが、これは、もとはといえば、ロルフィングを基礎としている。

ロルフィングは、アメリカのアイダ・ロルフという人が考案したものだが、怪我で動けなくなったピアノ教師の腕を回復させたことから有名になり、マッサージの基本10セッションを確立した。

私もアメリカで受けたことがあったが、とても痛くて耐えられなかった。
となりで受けていたアメフトの選手のようなドイツ人は、大きな唸り声とともにマッサージテーブルを叩き割っていた。が、終わったあと、頭と体はすっきりしていた。

それに比べてりバランシングは、ロルフィングのように無理やり押すのではなく、呼吸を使い、筋肉の深層、筋膜に働きかけてゆく。ロルフィングを母体に20種類以上の手法を取り入れて発展してきた。息を吐くとき、施術者の手がさらに深く入る。すると徐々に体の深部、どんな深いところでも届くのだ。

ロルフィングは教えれば誰でもできると私は思う。が、リバランシングは瞑想のためのセッションでセッションのための瞑想である。一つ一つのタッチを気づきを持って、瞑想しながらなされなければならない。

良いセッションかどうかは、個人の気づきの深さによるのである。でなければ、一般的なクイックマッサージと同じことになる。リバランシングによって瞑想が深まり、体に気づき、感覚を発達させてゆくのである。
 
 


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Oshoと瞑想 リバランシング その3 トライセッション 
2014.02.13 Thursday
10:05
 トレーニングは、自由な雰囲気で行われ、参加者は、だんだんと技術にも自信をつけていった。いつもワクワクした雰囲気だった。

ある日、私と交換セッションした相手は、20代の綺麗なイタリア娘だった。セッションのあと、彼女は不満そうだった。
「全然つまらなかった。何もワクワクしたことがなく平凡だった。非常に失望した。」と語った。

ベストを尽くしたはずなのに。と少し失望した私は、このことについてシェアしたいので、明日、話題として取り上げてくれるようセラピストに頼んだ。

次の朝、グループが始まると、いつも挨拶がわりにディスコ・ミュージックで踊りながら体をほぐしていくのだが、いつも10曲だったのにその日は3曲しかなく、セラピストは昨日の問題について話し合う機会を設けてくれた。

私は、昨日の反応についてシェアした。「セッションがつまらないと言われたのだが、何か悪いところがあったのだろうか。」

それに対してほかの人からは、「いいや、ディンパルのセッションは良いと思う」とか「自信を持ったらどうだ」とかという好意的な発言が返ってきたが、当のイタリア娘は、「ちっともつまらなかった。ワクワクしなかった」と一歩も譲らなかった。

セラピストがとうとう彼女に向かっていった。
「君はいつも楽しいのかね。何かワクワクして良い事が有り、夢のように素晴らしい結果をもたらすことをいつも期待しているんではないのかね。だとしたら自分のことをよく見て考え直したほうが良い。

生は良い事も悪いこともない。どんなこともただ見ることで中立性を保ちながら至福へと至る。瞑想は至福へと至る道だ。

マッサージは快感だ。気持ちよくうっとりするような感覚、まるでセックスのようにね。そういうマッサージも私は否定しない。だが、瞑想的タッチとなると、そんな感覚はなくなる。タッチした部分が深ければ深いほど、今まで見たくなかったものでも直面せざるを得なくなる。

優れたリバランサーは相手の内面深くに届く。気づきがなく、表面的な幻想を生きていても、中身を見る時、深い絶望と空虚さを感じる。瞑想は内側を見ることである。

何であれ自分のあるがままを引き受けるのは、最低自分の責任である。気づきと瞑想があれば、極端な幸福や不幸はない。それらを超える至福が訪れる。常に気づきを持ちなさい。リバランシングは体の内部がどんどん覚醒してゆく道だ。」

この日以来、皆のセッションはより引き締まってゆき、我々はより至福に満ちた顔に変わっていった。

けれども、くだんのイタリア娘は、途中でリタイアしていった。あまりにもイタリアのコンディションにあわなかったのだろう。和尚のことも受け入れなかった。まだ若かったのだろうか。                                (つづく)




 
 


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Oshoと瞑想 リバランシング - ソアスに触れる
2014.02.19 Wednesday
11:35
 リバランシングトレーニングでは、一通りのマッサージの習得が終わったあと、外部のクライアントに対して10回のセッションを行う。

モニターセッションで私はスコットランドの小柄な金髪の女性を担当することとなった。

毎回おおむね好評で、私は大いに自信をつけていた。10回のセッションもいよいよ終盤となり、最後のセッションで私は番外編、psoas(ソアス)と呼ばれる深層筋に働きかけることを提案した。

ソアスとは、腰椎から腰の下に伸び、大腿骨につながる骨に一番近い深層筋で、普通は、意識されることはなく、また、普段の生活では、十分機能しているとは言えない。

陸上競技のアスリートたちが、研究し、そこが機能すれば、奇跡の好結果を出すことがあると言われる。普通の人においてもそこが機能することで、人生が好転することがあるといわれる秘密の深層筋である。

ただ、機能するにあたっては、まず、その人の持っている深い恐怖が出てくる。その恐怖から解放されて初めて、機能することとなるので、前もっての説明が必要だった。

彼女に説明すると、「それはおもしろい」と請け負ってくれた。

そこで、私は、リラックスさせながら徐々に呼吸に合わせながら深部までほぐしていった。行き止まりまで行っても呼吸に合わせて更に深く行くのである。

ソアスに触れたとき、彼女は青ざめ、泣き出した。終わったあと、彼女は猛烈に怒り出した。

「あなたは私を不快にした。勝手に私の内部に入り、コントロールした。最低だ」と口汚く罵った。「この10セッションは最低だった」と喚き散らした。

スコットランドの誇り高き貴婦人は、自尊心が傷ついたのであろう。恐怖と悲しみを人前に出すことができず、怒りでごまかしたとしか思えなかった。

ただのマッサージでは、このように感情が噴出することはない。私にとって、この感情の噴出は大きなインパクトを受けた。失礼なことは何もやっていない。優しいタッチで深い領域まで筋肉をほぐしている。体は感情を持っている。その感情を解放してやることこそが、リバランシングの目的であり、変容するということなのだ。

力任せに筋肉をほぐしても、感情は出てこない。私は、骨に接している筋肉の付け根に大きなポイントを発見していた。靭帯のある所から1センチくらいのあるポイントを押すと表層すべての筋膜が解放される。
私のセッションはだんだん深くなっていった。
 
 


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Oshoと瞑想 リバランシング セッションワーカーとして
2014.02.26 Wednesday
11:30
 リバランシング・トレーニングは終盤に近づいていた。
最後の仕上げに3人がかりで1人の人にセッションをするという贅沢な機会にも恵まれた。
トリプルハンドのセッション、受け三昧である。

これを最後にお別れのパーティーが開かれた。参加者はそれぞれ自国に帰るもの、ゴア(インドの西海岸のビーチ)に行ってセッションを受け付けるというもの、皆、リバランシングのセッションをはじめようとしている。

皆がトレーニングを終了して、去っていく中で、私は、トレーニングをしていく途中に独自のポイントを発見していた。


巡るいろんな雑談をするブログ。
Oshoと瞑想 リバランサーとして
2014.03.06 Thursday
10:15
Oshoコミューンでリバランサーのセッションワーカーとして働き始めた私は、毎日2、3人セッションを行っていたが、最初のクライアントは、スイスのバレリーナだった。

彼女は2歳からバレーを始め、20代の今はバレー団で舞台を務めているが、足が痛むので各種療法を受けたが良くならなかったと訴える。





スラリと伸びた長い脚、外側の筋肉は鍛え上げられ引き締まっていたが、完全に骨が外側に曲がっていた。腸骨と大腿骨が歩くたびに擦れていたいというのは見ていてもかわいそうなくらいだ。

一ヶ月、毎日セッションをしてあげてやっと痛みは消えたが、私は実は不思議な体験をした。セッション中に私は激しい動揺、何かに感動するようなものが私に襲いかかる。

華やかな舞台が見えた。白いバレリーナが踊る。チャイコフスキーの音楽が心臓を打つ。圧倒的な迫力に襲われる恐怖。身動きできないほど怖いのだが、優雅に踊らなければいけない。完全に捉われの身。あどけない子供が、恐ろしい主人の前で習いたてのバレエを踊る。生贄の儀式に立ち会っているようだった。

実際、私がバレエというものを舞台で見たときも心臓が止まりそうなほどショックを覚えたものだった。これは一体どんな文化的背景があるのだろう。おそらく貴族の遊びとして婦女を鑑賞するために生まれたのだろうか。しかし私は完全なる支配のもと、残酷な性的虐待が行われるような怖さを感じた。

問題は、踊っている本人は何も知らないということだ。私はこの自分でも不確かな感情を言い出せずにいた。優れた芸術に対してむやみにコメントできない。クライアントは自分で自分の無意識が分からなければいけない。

彼女は全く屈託がなく、足が日に日に良くなっていくと喜んでいる。いつもランチは一緒ということで、色々な話をした。足は良くなっている。私は、骨の角度を変えるのは大変だ。おそらくもっとソフトにアプローチすればよいだろうと告げた。この時の経験で、私はがに股や内股の改善の技術を習得することができるようになった。

脚はよくなっているが、体に刻み込まれた感情(わたしは恐怖とみた)を自分で感じるのが良い。このことはカウンセリングで解決できるものではない。もし、無意識の感情が解決されれば良いのだが、2歳の頃から好きでやっていることなので、少しでもネガティヴなことを言われるのは耐えられないだろうし、良いセラピーが思い浮かばないまま、なにか良いアイデアがあれば連絡すると伝えた。(後にライトパンクチャーのトランスミッターをしてあげて、それはすべて解決したのだが)

Oshoは講話を休んだので、恋人たちはゴアへハネムーンのように出発する人も出てきた。
スイスのバレリーナは、私をゴアに誘った。

ゴアといえば、常夏の楽園。以前、一人でに行ったことがある。長いビーチが沢山ある。少しずつレストランとホテルがあり、素朴な自然がある。

タイのプーケットやハワイのようにうるさくなく、それでいてレストランの味は洗練されていて、安く、美味しい。海鮮カレーを食べながら、波の音を聞く。圧巻は、夕日の沈む紅色の空と遠浅の浜に七色に反射する寄せては引く水面の輝き。ハネムーンだったらもっと幸せだろう。

インドは女性ひとりだと色々不安なので、一週間ほどエスコートして欲しいと、そして、毎日マッサージをして欲しいと言われた。そりゃあ行きたいんだけれども、私はコミューンを離れることはできなかった。

私は瞑想するためにここに来たのだ。Oshoコミューンには瞑想という宝がある。どこにいても瞑想はできるが、もうすぐおこなわれるOshoの部屋での瞑想プログラムというものにどうしても参加したい。

彼女は、来年の再会を約束して、スイスに帰っていった。
 
 


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簡単ではない!ヒマラヤの旅
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Oshoと瞑想 ミスティックローズ
2014.03.14 Friday
15:03
 もうすぐOshoの部屋での瞑想グループが始まるという情報が流れていた。Oshoが、大理石

About us

アトランティスは、1994年に設立されました。インドのOsho コミューンの瞑想やセラピートレーニングの技術をもとに、25年にわたって、様々な開発に取り組んできました。日本人に最適なセラピーやボディーワークをクライアントとともに研究し、実績を積んできました。これからも、多くの方とともにスピリチュアルな道を歩んでいきたいと思っています。

これまでのアトランティスによるイベント

2016 木村秋則さんと自然栽培と世界的ベストセラー「アナスタシア」
そして日本の農林水産業が出会う講演会主催(大田区)
https://youtu.be/F2p_9bJDYLk
2017 平山秀善氏とのディスカッションを企画、そこでのDVDを制作

セラピストをご紹介します。

DINPAL菅原

DINPAL菅原
>1970年代から瞑想をはじめ、アメリカ、オレゴンのラジニーシプーラムを経て、インドOshoコミューンにて、10年以上にわたり、ボディーワーク、エナジーワークを習得。ピーター・マンデルのカラーパンクチャー、クラニオセイクラルには、特に造詣が深く、コミューンにて、セッションワーカーとして働く。91年にカラーパンクチャー・ティーチャーズトレーニング終了。1994年帰国。以来日本でセッションワーカーとして現在にいたる。ヒーリングトークとクラニオを合わせたワークショップも行う。ヒーリングトークを全国で展開。繊細なテクニックには定評がある。

shanti(シャンティー)

shanti(シャンティー)
山口大学人文学部卒。社会心理学→心理学→トランスパーソナル心理学を経てプーナOshoコミューンに到達。ブレスセラピー、カラーパンクチャーなどを習得。瞑想を伴ったトランスミッターセラピー(カラーパンクチャー)を受けるうちにサイキックな能力が発現するようになり、現在アトランティスでパームリーディングを担当。Dinpalのパートナーとして2児の母親。2017年より、社会活動にも専念。市民メディアCCJチャンネルにも出演

oshoと瞑想
Dinpalの歩んだ瞑想の道(ブログより)

oshoと瞑想

2019.09.24
oshoと瞑想 サニヤシンとなる

oshoのサニヤシン(弟子)となったのは、長い旅行の末、アメリカのラジニーシプーラムにやっとたどり着いたときで、1982年夏、ワールドセレブレーションのなかであった。ボーディ・ディンパル(覚醒の太陽)という名前負けしそうな名前をいただいてサニヤシン(インドでは世を捨てて自分の主人となるという意味。覚醒した人の弟子)となったのであった。

サニヤシンになるには瞑想していなければなれないといううわさが飛んでいて、私は面接官に自分の瞑想体験を語った。(その当時は瞑想が足りないという理由でなれない人もいた。)
実際、サニヤシンになる何年も前から瞑想には入れ込んでいた。それはやはりoshoの(当時はバグワン・シュリ・ラジニーシ)「存在の詩(そんざいのうた)」に感動して瞑想を決意したのであった。その本はチベットでの光明を得たマスターであるティロパ(988-1069)の有名な詩から始まるのだ。今でもやはり感動的なので少しだけ紹介しよう。

マハームドラーはすべての言葉とシンボルを超越せり
されどナロパよ 真剣で忠実なる汝のために
今、この詩を与うべし

空は何物も頼まず
マハムドラーは何物にも依らず
また労せずただゆったりと自然であることによりて
人はくびきを打ち壊し
解脱を手の内にするなり
私は当時の弟子の条件となる赤い服に身を包み、毎日ダイナミック・クンダリーニ瞑想をしながら世界中の山でヴィパサナ瞑想をして、サニヤシンになる準備をした。ギリシャやトルコなどの人のいないところを長期間借受け、瞑想するのを好んだ。ある時、グアテマラの火山の上の湖、サンチャゴアテトラン湖の真ん中にある小さな島を借りきって、渡し船もなく、一人無人島でヴィパサナ瞑想をしていた時のこと、私の中で地球のパワーとクンダリー二が大きく共振し、今こそOshoに会いに行くべき時と思い立ち、近くを通る渡し船を待った。Oshoの言葉「師は現れる。弟子の用意が整ったとき現れる。それは決して遅れることはない」という言葉が強烈に胸に響いてきたからである。

グアテマラからアメリカに、所持金が少ないので、真冬のニューヨークに飛行機で降りたは、ー20度のなか、Tシャツに機内で配られた毛布を被って寒さをしのいだ。ニューヨークの日本レストランで働いてお金を貯め、なんとか夏のセレブレーションに間に合ったのである。このことを面接官に話すと彼は非常に驚き、喜んで、すぐにサニヤスのマラ(木のネックレス)と名前を受けるよう取り計らってくれたのである。




019.09.25
  さらばアメリカ


ニューヨークとオレゴンのラジニーシプーラムとの半年ごとの往復が始まった。ニューヨークで働いてお金を貯め、貯まるとすぐにプーラムに行き、半年間ずつ長期のセラピーやワークショップを受けるのだが、皆が行く夏だけでなく、冬に行くこともあった。夏は、愛や瞑想を素晴らしくポジティブに受け取れることができ、楽しかったが、冬はどうしても苦しい自分にも直面せざるを得ず、つらかった。底冷えのするみぞれ模様の雨の中で、厳しい人間関係のエンカウンターで落ち込む自分を祝祭するのはむずかしかった。

セラピーと瞑想は、プーラムを離れてまた来るたびに、同じところから魂の成長は始まるのがよく分かった。(日常生活でもニューヨークは充分幸せであったが。)プーラムのコミューンは素晴らしかった。青春のように朝早くから夜遅くまでダイナミックな活動でフルに回転していた。Oshoは常に体調が悪いらしく、弟子たちはそんなOshoに愛を送っていた。愛はクールに山々を満たす。砂漠の山々はOshoの瞑想と弟子たちの愛で満たされた美しいエネルギーに満たされていた。ハートからハートへ愛が流れていて、深い深呼吸のように、至福が砂漠の山々に広がっている美しい体験だった。
ラジニーシプーラム


1985年11月 Oshoがアメリカを追放され、ワールドツアーとして世界を放浪に出るころ、私は4年間住んだニューヨークの生活を整理していた。友と西と東に分かれ、私は東に行った。マンハッタンのど真ん中の高層ビルの14階からの夜景はもう見納めだ。記念にコカ・コーラを2ℓ飲んでやった。さようならアメリカ。さようならニューヨーク。人間のいろんなエネルギーが渦巻いているこの街。この街でドラッグじゃなくナチュラルハイでいられたのもOshoの弟子であったおかげだ。Oshoを求めてギリシャに行こう。空港から飛び立つ時 泪がこぼれた。