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2019.09.29

イラン入国

トルコをバスで東に行くと、だんだん砂漠になる。草や木も生えていて、そこらじゅうに遺跡が埋もれているのが見えるが、誰もそれを掘り出そうとはしない。ああ、古代文明が忍ばれる。大きな崖を下りるとイランの入口である。

入国の時、音楽は禁止だとギターを取り上げられる人もいた。完全なるイスラム。西洋かぶれは処罰される。イスラマバードには、夜到着。なんとなく華やかな雰囲気が残っていた。女性たちは、黒いマスクを外してほほ笑みかけてくる。首都は不思議な雰囲気だった。

最もイスラム的な世界がアメリカ的になり、再びイスラム的になるところだった。イスラム革命後、パーレビ国王がフランスに追放され、イランは再び元の体制に戻ろうとしていた。道には、イスラムの憲兵が所々で見張りをしている。

街を歩いていると、黒い衣服の中から赤い衣服を覗かせた女性がこちらにおいでと誘う。黒いマスクを外し、顔を出す。私は何の商売か?と思ったが、ただの女子学生であった。

英語での楽しい語らいが始まる。たくさんの女性たちが話したがっていた。裏通りの馬小屋の中で戯れる。と、憲兵が走ってきた。女性たちは慌てて黒いマントをかぶる。

この女性たちはパーレビ国王のもと、アメリカ式の自由を謳歌したあと、突然のイスラム革命により、
顔を隠して歩かなくてはいけなくなったのだ。

私は最後に、ベールに包まれた目より下の顔をのぞきこみ、話をして、ホッペにキスをした。ヨーロッパでは神秘の顔とされているイランの女性たちは、やはり綺麗な人たちであった。

パーレビ国王が解禁したアルコールもディスコも禁止されている。朝には何千年も続いたコーランの祈りがスピーカーから流れた。

安宿のベランダから早朝に聞こえるコーランの祈りは非常にゆっくりと言葉を伸ばして歌う。沈黙と特別な発声。それを聞くといつの間にか私は瞑想状態に入り込み、ダークネス・メディテーションの続きをしているような気分になった。ベランダから見える空が黒くなった。

コーランは第3の目を打つ特別な歌だった。
イランではしょっちゅう泥棒にあったが、コーランを聞くと、盗まれたときの不快感がどこかに行ってしまうのである。本当に心が救われる思いだった。

朝夕のコーランが聞けないと思うと、アメリカナイズは良くなかったと思わざるを得なかった。だが女性達にはどうだったのだろう。複雑な気分になりながら、皆が行く観光地の南ではなく、カスピ海を目指して北へ向かった。