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2019.10.10

Oshoとカラーパンクチャー…奇跡的ヒーリング その1

1990年、和尚を肉体を去ったあとのコミューンは、ますます美しさが増しているように思われた。
和尚の臨在が、確かにあるのだという雰囲気だった。

ところで、カラーパンクチャーのトレーニングやワークショップが始まろうとしていた。
個人セッションも全ての人になされるようになった。
受けた人々の感想は様々だった。本当に2手に分かれた。

とても素晴らしかった。いろんなことがクリアーになっていく。という人がいる一方で、何も感じなかった。マッサージの方が良い、という人、そんなもので存在が変わるんだったら何十年も瞑想をしたことは、なんだったのか、絶対に信じられないという人。

私は、この頃、プラーナヒーリングのトレーニングをしたおかげで、既にその人のオーラが、明るいか、暗いか、低いか高いか位のことは、見えるようになっていた。

あるとき、カラーパンクチャーのデモストレーションがあるというので見に行ってみた。
その場で、受けた人すべてのオーラがたちどころに変わっているのを目撃したのである。
これはすごい、でも本人は何も感じてないようだ。よかった、という人と、何も感じないというひと。しかし、受けていた人のオーラは、全員高く伸びて輝いていた。

個人セッションを受けてみたら、すごくすっきりした感じ。しかし、単にすっきりしたというわけではなく、もっと奥深いものがあった。言葉で言いあらわすのは難しい。

この時、カラーパンクチャー部門をリードしていたのは、サリタというアメリカ人の女性だった。金髪がふわーと長い。小柄で繊細な感じ。サイキッカーとして知られていた。

アメリカでは、すでにその人の過去や未来を見抜くことのできるサイキックワークを仕事にしていて、姉とともに、コミューンでも個人セッションを行っていた。
ところで、そのサリタに個人セッションを受けているという日本人の女性がいた。詳しく話を聞いてみたい。その女性は、今受けているトランスミッターのシリーズについて、長々と語った。
カラーパンクチャーの個人セッションには、過去世を含む人生をクリアーにするトランスミッター・リレーというプロセスがあり、それを受けているところだという。

セッションに行くと、サリタからは、「あなたは、過去世で、原爆にあったのです。とても悲惨なことがありましたが、それを、クリアーにするためにここにきました。よくここまでたどり着きましたね。」といわれたらしい。

その女性は、毎日、髪を解くと、髪が抜けていることに異常な恐怖を覚えていて、毎朝髪をセットするのが辛いのだと打ち明けてくれた。
話を聞いて、私も受けてみたいと思ったのだが、サリタにそのセッションを受けるには、細部にわたって、英語がペラペラでないといけない。

特に医学用語には、私は全然自信がなかった。英語のハードルはかなり高そうだった。もちろん、サリタは日本人には、特にゆっくり話してはくれるのだが…。
トランスミッターの個人セッションは、希望者が多く、予約でいっぱいで入れなかった。に加えて、英語に自信がないと後回しにされること必至である。

しかし、朗報が舞い込んできた。トランスミッターのトレーニングの中でモデルとして受けることができるということなのである。もちろん通訳をつけても良いし、人数も大量(といっても20人くらいだが)に受け付けるという。

だが、そこにも入れなかったが、結局、そのトレーニングを受けた日本人から受けることができた。これなら日本語でOKというわけであった。
とにかく、その時期は、和尚コミューンはカラーパンクチャーで盛り上がっていた。
そして、サリタの神秘的な香りが付け加わり、ピーターマンデルが強調する科学的な分析よりも、人生をクリアーにする瞑想ツールとして発展していったのであった。