人格とは果たせなかった要求、とアーサーヤノフは言う。
子どもの頃、両親に言うべき言葉が、人格の裏側に潜んでいる
いつも微笑みを絶やさない人格には、
「私につらく当たらないでください。」という要求が
大人になっても、それを訴えかけるように、隠されている
いつも虚弱体質で気弱に振る舞う人格には、
「私の世話をいつも見てください」という要求が隠されている
「僕に注意を払って、お父さん」というために
社会的な集まりで立派なスピーチをする。
しかし、少しひっかくと、傷ついた子どもの顔が見える。
子どもは両親の望み通りにしようと勤めるが
自分の要求が満たされないため、緊張した人格を作り出す。
人格は傷ついた子どもがかぶる仮面である
社会では人格は必要とされているが親密な世界では人格は歓迎されない。
ニーチェは「ツァラトゥストラ」の中で、
成長過程での人格の三様の変化ということを書いている。
なんでも従い、従順だったラクダのような人格は
やがて反抗期を迎え、ライオンのように吠える。
自分の強さを誇示し、他を蹴落とし、一番になろうとする。
しかし、それもまた、一つの過程である。
成長の過程でそれをも手放し
子どもの人格へと変容していく。
セラピーではニーチェの言う
ラクダ、ライオン、子どもへと帰っていく試みを強行する
普通のセラピーでは、まず、従順なラクダのような
人格を作り出した両親や先生や社会に強力にノーという。
強いライオン、大きな声で叫ぶのだ。
そして
純真な子どもに帰る
それがゴールである。