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2019.07.16

優柔不断な人々

セラピーを日本で始めた当時、とてもショックだったことがあった。
初めてのお客さんが、
「私は、何をすべきでしょう」
と言う問いを口々に発するということであった。
今では、なんとも思わなくなったが、
私がかつていた、アメリカで、インドで、
そのような問いを発すると、セラピーはまだ早い、と言われ
受けることさえできなかった。

私は、セラピーを受けることは、
自分に向き合う勇気のある高邁な行為だと思っているが
日本人の多くは、そう思っていないらしい
むしろ、恥ずかしいこと、一部の人にしか必要のないこと
と思っているらしい。

日本に帰ってきた90年代は、スピリチュアルがようやく
市民権を得つつあったが、日本で流行っていたことといえば
トレーニングコースであった。

学ぶ、ならう、ということには抵抗がない。
自分と向き合うことをしたこともなく
セラピーを十分受けたことのない人が
それを習って先生になる。
このような本末転倒なことが今でもずっと起こりつづけている。

こうしたことについて、アーサーヤノフは書いている

神経症の人は、要求と義務の間で分裂しているので
なすべきことを他人に求める
「このメニューで何がオススメですか?」
自分に他の人が義務を提供し続けてくれ、
自分の感情に基づいて行動しなくて済むよう
死んだように生きているのである。
私にはなんの望みも感情もそれに生活もありません
私の代わりに私の人生を生きてください。
生まれてからずっとやりたくないことを行ってきたので
自分がしなければならないことに苦痛を感じる

個人個人は、その人なりのやるべき課題や
ミッションがあるはずだから
それに気がついて、始める、という
せめてスタートラインに立ちたいものである。
というわけで、私は、セラピーを自ら進んで受ける方々を
大いに素晴らしい人たちだと思っているのである。