以前、一生に一度、と思い(実際は3度だったが)私と妻は、
ネパールトレッキングを試みたことがある。
ネパールのカトマンズ空港に降りたときは、
首都なのに牛が草をはむのどかな空港に降りた気がしたが、
トレッキングの始発の空港に降りたときは、狭い谷に急降下。
まるでジェットコースターに乗っているようだった。
最初、山をかき分け谷に降りた後、
滑走路が上り坂になっているので、古いエンジンを全開して徐々に上昇し、
滑走路に入る。滑走路は上り坂の山の斜面(!)にアスファルトを敷いただけ。
よっぽどの凄腕パイロットでないと登れない滑走路のようだった。
こんなところだと知っていたら、バスで一週間かかるが陸路で来たのに。
よっぽどの秘境世界に来た気分。
チベット文化圏である。
チベットの中央部、西の人たち(ポカラとか)とは
少し雰囲気が違う中央部は、あのミラレパの修業した山々がある。
光明の伝統は、ティロパからナロパへナロパからミラレパへと受け継がれた。
そしてネパールでもミラレパは人々のヒーローであり、
やはりチベット文化圏なんだという感動ににた思いを抱く。
ここに住んでいるチベット系の人々は、日本人そっくりなので、
私たちに親しみをもって村に一つある洞窟のことを誇りをもって、話してくれた。
私たちに話しかけてきた彼が言うには、
洞窟に瞑想する人は、カトマンズの仏教寺院の許可がいるが、
許可は村人がサポートするので、すぐにとれる。
3年3か月3週間と3日人に会わず、その洞窟にこもって瞑想する。
食事は村人がすべてサポートする。そして晴れて満願成就すると、
カトマンズの仏教本部の僧侶となれるというわけである。
そのほか、洞窟は至る所にあり、今でも瞑想者がいるような気がする。
そして、やっぱりすごいと思うのは、
そういったことに対するサポート体制が、整っている社会だということである。
瞑想にかかわらない普通の人々も支援者として精神世界に参加しているのである。
先週、リンポチェがこの村に来たぞ。と冗談を言ってのける。
ところで私たちは、ヒマラヤを見ようと2週間のトレッキングに来たのだ。
しばらく行くと、関所に差し掛かる。
ネパールは、山の中腹に外国人用の関所(パーミット)を取り付けている。
荷物をおろし、トレッキングパーミットをとりだす。
あれ?あれ?無い。探しても肝心のパーミット(入山許可証)がなかった。
取りに帰るのはあまりにも時間がかかりすぎる。
2週間の休暇もふいになる。
よし、ここは交渉次第だ。絶対突破だ。とわけもなく戦う決意をする。
最初、パスポートを見せて、役人と交渉。答えはno!。でもここで
すごすごと帰るわけにはいかない。
1時間説得に粘ったが、効果なし。少し後退した。
いい考えがないか、知恵を絞る。
そこへ現地の10歳くらいの子供が通りかかった。
事情を説明すると、それなら抜け道があるという。
というわけで、山をかき分け、ゲリラのように道なき道を登る。
林の真ん中で、ここを下ると
パーミットを超えたところに出るという。
見つからないように、私はここでさようなら。といって、去って行った。
私たちは、降りていくと、元の道に戻ったようだった。
と、後ろから足音がする。
銃を持った男が駆け上ってくる。
「まて!」と言っているようだった。
その男は銃を突きつけ、またないと撃つぞといった。
それから5,6人の男が次々と捕まえに来た。
万事休すであった。
私たちは、関所破りとして、つかまり、
また元のパーミットに戻ったのであった。
そこですごすごと帰ればよいのだが、あまりにも悔しかった。
もう一度交渉しよう。梃子でも動かないぞ。
「私たちは友達じゃないか。世界中の人間は友達だぞ。ここを通してくれ。」
といったが、効果なし。
そこで初めて、パスポートというものをまじまじと見た。
日本人を安全に旅行させるようにと外務大臣がが要請している。
そうだ、ここをみせるのだ。
水戸黄門のように、そのページを開き、もし、危害を加えるなら、
メディアに訴えてやる!と一眼レフカメラをむけた。
カメラは効果があった。その時、妻も叫んだ。
「行かせないのは、あなたのコントロールマインドだ!」役人はついに折れた。
そして一言、「いいパスポートを持っているな」といった。
もう日が暮れそうになっていた。
少し戻って、宿に泊まってから、明日行けば?と言ってくれたが、
また捕まると嫌なので、ふりきってすすんだ。
標高3千メートル近くの強行軍は、体につらかった。
真っ暗な中でわたる橋げたは、ところどころかけていて恐ろしかった。
宿場に着いたのは、夜10時をまわっていた。
(つづく)