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2018.12.18

動画スタジオにて

動画スタジオにて
2018.12.18

クロネコギフト用ボックスのデザイナーに遭遇し、裏話を聞く

クロネコギフト用ボックスのデザイナーに遭遇し、裏話を聞く
2018.11.23

白薔薇

白薔薇
2018.11.06

大日本帝国憲法が発布された場所

大日本帝国憲法が発布された場所
2018.11.06

Tokyo

Tokyo
2018.11.06

ポテト

ポテト
2018.09.28

曼珠沙華

曼珠沙華
2016.11.05

10月の個人セッションは、感想をいただきました。

感想
長崎市のセッションも大盛況だった上に、色々な超現象が起こったそうで、DINPALさんが天からのお仕事をされていることを改めて感じました。
長崎市は原爆投下の地であり、その恐怖が根付いている土地であることから2世代、3世代へと渡る恐怖を溶かすDINPALさんのセッションを受けた方々によって、長崎市がこれから希望溢れる輝いた土地になりますように
昨年まで思春期の娘さんのプリネータルで通われていた方が、娘の変容に大変喜ばれ、今回は一番下の娘さんのプリネータルで来られたり、セッションを受ける理由は様々でしたが皆さんセッション後は顔が明るくなって変えられたのが印象的でした(^^♪
DINPALさんのセッションは、本人は気づかないけど周りがその変化に気づくという不思議なセッションです。

プリネータル感想文
プリネータル(胎内期)を昨年より受けている6才の娘は幼稚園の運動会で竹馬の後ろ歩きを披露しました。
竹馬は運動会で年長さんの見せ場でもあるので、二学期が始まるとすぐに取り組みが始まります。娘は年長さんの中でも早く竹馬に乗れるようなになったのですが、先日担任の先生からのお便りに
「最近の○○(娘の名)ちゃんの姿から本当に優しさを感じます。竹馬を練習する友だちへの邪魔にならないように少し距離をとって一緒に歩いて応援する姿、友だちが困っていることにすぐに気づきしっかり話を聞いてあげる姿など・・たくさんの場面が出てきています。」
と書いてありました。
そう言えば、今年の4月下旬頃、年長さんは一年を通してお世話をするペアの年少さんがいて年長になったばかりの娘のペアの女の子のMちゃんは一人っ子で幼稚園に入園するまで一度も母親から離れたことがないという事情もあり、毎朝お母さんから話すのが大変で朝からよく目にしていました。
ベテランの先生たちでもお手上げ状態のMちゃんは、娘が色々お世話をするうちに娘にすっかり懐いてくれて、朝も娘が登園したら泣き止んでお母さんから離れることができたというエピソードがあり、後日、幼稚園の先生に
「普通は年少さんにとって年長さんはお姉ちゃんみたいな存在なのに、○○(娘の名)ちゃんはお姉ちゃんを飛び越えてお母さんみたいな安心感をみんなに与えています。どんな子育てをしたらあんな子に育つのですか?」と聞かれました。
私の母親としての一番の功績はプリネータルを娘に受けさせたことでしょう。
プリネータルを受けた子どもは大人以上の人間性を持った子になると書いてありましたが、正しく我が子もそうなのかもしれません。
2013.09.03

簡単ではない!ヒマラヤの旅 その6(最終回)

ひたすら下りる道には、どこでも宿があって、
何不自由はなかった。
下山するにつれ、植物帯が変わり、次第に緑の森になった。
我々とシェルパは、ひたすら急な山道を下った。
恐ろしく急な岩の坂道もあったが、
何より高山病からも解放されてとても爽快だ。

途中、シェルパは、
「自分には4人の娘がいる、帰り着くのが楽しみだ」といった。
その言葉からは、だから、
途中で仕事を放り投げて帰るわけにはいかないのだ。
といったニュアンスが読み取れた。
そういうわけだったのか。
貧しい山村のひと時の幸せな光景を想像した。
4人の可愛い娘が父の帰りを待っている。
出稼ぎから帰ったその父は、まとまったお金を、
少しでも子供のために使ってあげたい。

下りは早く、5日ぐらいでナムチェバザールにに到着。
最初泊まった宿に荷を解き、おかみと無事をよろこびあう。
どうだったと聞かれ、
「すばらしかったよ。」
「ガイドはどうしたの?」
「ああ、散々な目にあったんだ。こうこうしかじかで...。」
おかみは信じられないというふうに驚いている。
「ラマは途中で帰ってきたわ」とも言った。
「そうなんだ、彼は途中で仕事を投げ出して
ゴーキョまでも案内してくれなかったんだ。彼は、いるか」
「ああ、となりのシェルパたちの常連宿にいるわ」
「呼んで来て下さい」

というわけで、彼は数人の男に連れられてやってきた。
「ラマ、まず会計報告をしてくれ、
宿代や食事代、全て任せて合計渡したが、経費はいくらだったんだ、
ノートに書いてくれ」
驚いたことに、ラマは、字が書けないようだ。
「お前はペテン師じゃないか。途中で投げ出して。
シェルパにはいくら払った、聞いたぞ。
一日一食の食事代しかやらないで、全部自分で取って!
半分とは言わないがせめて3割くらいはシェルパにやったらどうだ。
仕事も半分しかやってないのだから半分返せ。」
ラマはとぼけている。

「ラマ、外にでろ」
宿の受付のところでは迷惑になると思い、外の道に移動した。
「ラマ、ふざけるな」
と胸ぐらを掴んで怒った。
人が黒山のように集まってきた。

「こいつはキャンプの荷物を売り払ったり、
宿代をケチって毎日テントに泊まらせたんだ。」
「本当か?」取り囲んだチベット人が言う。
「本当だ、このシェルパが証人だ。」
シェルパはうつむいていたが、とうとう口を開いた。
「本当のことだ。彼はこの人たちの宿代も食事代もとったんだ」
囲んだ人たちが、ざわざわとしてきた。ラマは謝らない。
「お金はどうした」
ずっとだまっていたが、とうとうラマは、ぼそりと言った。
「博打で全部使った」
「え?」私はびっくりしてあっけにとられた。

その時、大男が割り込んできた。
「ジャパニー、やめろ、これでカタをつけろ。」
懐から札束1つを出して、私に握らせた。
「皆、去れ!」
と鋭い目つきで見回すと、
蜘蛛の子を散らすように人々は去っていった。
「お前は誰だ」というと、
「ボスだ。ギャンブルを支配している」といった。
この地を実質支配しているヤクザのような奴だろうか。
「ラマ、最後に謝ったらどうだ、
金を返せばいいっていうもんじゃあないぞ」
私はいったが、ラマは後ろめたそうな顔をして
そのまま走り去った。

シェルパを呼んだ。
「どうやら金は何倍にもなって帰ってきてよかった。
ところで、この金は全部取ってくれ。あなたは命の恩人だ、
感謝している、ありがとう。」
「とんでもない」と彼は言ったが、
「シェルパ、4人の娘が待っているんだろう、受け取ってくれ、
それに、もう三日、荷物を持ってくれたら、賃金を出すぞ。」と返した。
ところが、シェルパは青ざめ、そわそわしている。
「ありがとう」と彼はお金を受け取ると
「私はもう行く」とそそくさと帰る用意をし始めた。
そうか、私は何か理解した。
しばらくは仕事ができないだろう、追っ手が来るかもしれない。
早く身を隠すがよい。
彼はすぐ裏道から山を降りていった。
もう二度と会うことはないだろうが、一生忘れないよ。

チベット人は、皆、信仰深く良い人だという幻想を持っていたが、
ミラレパの話は今もなお生々しく生きているのだということを実感した。
ミラレパは、父の死後、伯父から財産を没収され、
母と妹とともに叔父の家の下働きにされる。
それを恨んだ母は、ミラレパに黒魔術で、
伯父の一家を呪い殺すよう要求する。
ミラレパは、母の願いに答えて、呪術師に弟子入りし、
見事、黒魔術を習得し、伯父の息子の婚礼の席で
伯父、伯母を除くすべての人を呪い殺す。
その後、そのことを後悔したミラレパは、
とてつもない修行を、師、マルパのもとで励むこととなる。

このヒマラヤでは、人々の感情は、世間的だが、単純だ。
一人の想念が遠く氷河をわたって伝わることは実感できる。
宇宙でさえも近くに感じられる。
本当にすぐそこの洞窟にミラレパがいるような気がした。


自ら目覚めるによって
一切は労せずして成就される
           ミラレパ
    
           
このあと我々は、ランタン方面のゴサイクンド巡礼に向かいまし
た。いつか機会があったらまた書こうと思います。
2013.08.29

簡単ではない!ヒマラヤの旅 その5 氷河とチョーラ峠

朝になって、ちらちらと雪が降ってきた。
雪が積もるとチョーラ峠は危ない。
が、この程度のちらちらした雪では大丈夫かもしれない。
とにかく急いで宿を出た。
しばらく歩くと、遠くに氷河が見えた。
氷河は大きく、川幅は1Kmあるように見えた。
初めて見る氷河に感動する。しかし、これを渡るのか。

いよいよ氷河のふちにたどり着くと、
シェルパは何のためらいもなく氷河に足を踏み入れる。
氷の状態は均一ではなく、はまりそうなところや
固く凍っているところなど、まちまちである。

氷河は、均一なスケートリンクのようなものではなかった。
起伏が激しく、立体的な迷路のようだった。
平坦な道から突然、がけのように滑り落ちたりする。
下ばかり見て歩いていると、だんだん方向がわからなくなる。
シェルパは、そこは危ない、こっちこっち、とか指示をくれる。
雪が突然崩れて川底に落ちる場合があるそうだ。

はじめは恐る恐る歩いていたが、そのうち慣れてきた。
次第にヒマラヤの川のスケールの大きさを楽しめるようになっていた。
氷河は忘れられない思い出となった。

氷河を渡り、丘を越えたら山小屋があり、
チョーラを目の前にして我々は一泊することにした。
中で薪ストーブが燃えている。
もちろん燃えているのは薪ではなく、
ヤク・ポテト(ヤクの糞を乾燥したもの)だ。
荷物を運ぶための、あるいは野生のヤクの糞は、
ここでは貴重な燃料である。
高地の山々には木どころか少しの草も生えていない。

カトマンズで出発前にチョーラのことを聞いて回ったが、
誰も今の状況は分からないといった。
ほんの一時期に登れるが、雪の状態によっては登れないという。
地図にはただ点線が結んであるだけだった。
とにかく難所であることだけはわかっていた。

ここでニュージーランドの登山グループと一緒になる。
皆、屈強な男たちである。
気さくな人たちで少し仲良くなる。
このグループは日本のツアーと違って
超豪華な食事もしていなかったし、
シェルパや料理番といった人々もいなくて
ガイドが一人いただけだった。
皆チョーラ越えを目指している。
どうやら雪もやんでくれたようだ。

暖かいチベットうどんの夕食に、
ちゃんとしたベット!いうことなしである。
ところで、ニュージーランドグループの現地人ガイドは、
英語をペラぺらと話した。
が、その言葉は嘘っぽかった。そして、みんなと一緒に食事をした。
が、我々のシェルパは、隅のほうで一緒に食事せず、
ジャガイモに唐辛子の粉を付けてかじっていた。
ちょっと気の毒になったが、
シェルパは「わたしはこれでいいんだ」といった。
どうも現地人の間でのなにかがあるらしい。
我々のシェルパはほとんど英語はしゃべれなかったが、
とても実直そうで我々は、とても満足だった。

朝は一列になって、ともにチョーラを越える。
峠の下まで来て絶句。
そこはほとんど九十度の岩のがけで、
終わりの見えないほど高いところ。
石が落ちてこないのかとシェルパに聞いたら、
凍っているから大丈夫という。
本当に一歩づつ岩をつたって、命綱もなく、
サーカスのようにシェルパに手を引っ張り上げてもらったり。

下を見てはいけない。めまいがするから。
登る伱から小さい石が足元から崩れていく。
途中でギブアップしそうになったが、引き返すことはできない。
一歩足を踏み外しただけで何百メートルも下に落下してしまう。
シェルパは重い荷物を持ちながらも先頭に立つ。
冷や汗をかきながらも、懸命に手と足を駆使して登る。

とうとう上まで来た。
少しずつ這い上がって登りきるとやがて達成感と
全員の無事の喜びで脱力しながら雪の上を寝転がった。
少し休憩を取った後、
山を少し登って南面から北面に今度は下りてゆく。
ここもかなりの高度のはずである。
相変わらず頭がガンガンする。
シェルパに「頭が痛くはならないのか」ときくと、
「チョーラを越えると、いつも少し(!)頭は痛くなる。」と答えた。

人にあまり見られていない万年雪の純白の世界ではしゃぐのは
極上の喜びだった。来たかいがあった。
少しずつ雪の中を下りて行った。
夏限定の山小屋が温かく迎えてくれた。
(つづく)