2022.08.28
大分前、70年代自己啓発セミナーブームの只中,shantiは米国西海岸の活発なセミナーに傾倒していた。
私は米国を経てインドのoshoコミューンで各種セラピーを研鑽していたとき、そこには世界のセラピストが集まりレベルの高いセッションが繰り広げられていた。
丁度私は光と色を使ったヒーリングをドイツのピーターマンデル博士と勉強していた。
そこに日本からやってきたシャンティがが同じクラスに入ってきたのである。
お互いに日本語で話し合えるし、交換セッションに都合がいいということで、お互い貴重な存在となった。
シャンティは数週間インドに滞在ド、日本に帰ってもまたすぐインドに来る、2年間に10回以上あいにきてくれた。
交換セッションの臨床がふえていった。
医師と違ってセッションとは、習ったことを患者にしてはいけない。
それでは効果がない。必ず自分たちで交換セッションをして,成長して、それを伝達することが流れ。
体験しなければいけない。体験が伝わって効果が伝わるのである。
この体験をもとにセッションルームを開こうよ、と2人夢をかたっていた。
1994年ほとんどのセラピーを研鑽し終えて日本に帰ったらシャンティは東京都世田谷区にアトランティスを開設
マッサージテーブルを設置して待っていた。
次の日からセッションが始まった。
交換セッションで新しいセッションを次々と開発。
それを使ってセッションをすることでみんな同時に成長できる。理想的な形でした。
1995年長年の研究の末セラピー史上初めての高度な完成度を持つセラピーを完成。
人が成長して周りから驚かれるほどパワフルな光を放つセラピーを完成。それは4回のブループリントとなつけた。
シャンティは霊感が強くどうすれば人と社会が幸せになれるのかということをいつもかんがえていた。
私はソフトタッチなテクニックでエネルギー身体まで操作ができるということで、
シャンティのアイディアと私のテクニックで二人の共同開発した作品でした。
あとはシャンティは外に出て、人と合ってブループリントを勧めればよい。
一人でも多くの人が受けたらそこの地域が変わる。
エネルギーだけではなく実際に犯罪が減ったり、経済がよくなったりするのである。
ブループリントは他のセラピーのように感情をゆさぶったり、セラピストなどに気を使ったりする必要がない。
あなたの自尊心が傷つくことなく4回で終わる。
ですから社会的に大きな成功をした人でも誰でも、疎かになっていた無意識の心の中のクリーニングを
光を使っておこなうのである。
シャンティの努力はまず人と会い、
各自の自分の夢を叶えるためにみんなと協力して、
世界を変えていこうというパフォーマンスから始まった。
そうすると自分がブループリントを受けようかなと思う日が来るといっていた。地道な努力をしてきた。
もういっぱい働いたからあとは任せるね、といって去っていった。
みんな
みんな
ありがとう、、が最後の言葉でした。
シャンティの夢を実現するセッションワーカーとして身を引き締めて頑張ります。よろしくおねがいいたします。